金村修//My name is shockhammer・・・会場風景

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■3枚目のロール紙の写真奥の1枚はうつせませんでした
 (サイズ間違いましてちょっと写真が大きいですが~)

★金村修//My name is shockhammer/
 10/19~11/17のオープニングのギャラリー風景
 新ギャラリーオープン Port Gallery T//http://www.portgalleryt.com 
 大阪市西区京町堀1-8-31安田ビル1F



「この世界から〈理解〉という装置を取り除く。理解は理解できるものだけしか理解しないし、理解できないものは表象不可能なものとして排除しようとするなら、理解から取り残されたもの、理解が挫折したものを撮るだろう。写真は世界を理解したり翻訳したりする装置ではなく、理解という装置を一切持たずに世界と対応しようとするものであり、ものを撮るということはものを正確に把握し再現する行為ではなく、何百回同じものを見ても不正確に曖昧にしか輪郭を思いつかなくなることであり、正しい輪郭をもう一度なぞろうとしても何度も書き間違える。何度も聞き間違え、何度も思い違い、いつまでも書き間違えることしかできない。輪郭を破裂させること。藤枝静男の『空気頭』のように鉄と水の区分を放棄すること。なぞることは消滅させることであり、なぞることは裏切ることであり、なぞることは去勢されることである。失敗し阻止され円環は破壊される。写真はとうとう知覚することに到達できない。知覚は放棄される。「知覚しえぬものになることこそが〈生〉なのだ」(ドゥルーズ)」金村 修



■11月の展示は今年NYで写真展がありその時NYを写してきた写真だそうです

 ★N.Y.撮影の新作//Dante Lobster
  2007.11.17 ~ 12.15
  void +// http://www.voidplus.jp 


「はいる前に俺が現世にいたと同じだけ/年月を経つのを門の外で待たされている」(『神曲』ダンテ) ベラックワは求めていたわけでも 望んでいたわけでもない現世の年月と同じ時間をそこで待たなければならない。被昇天の辺獄、天上のない地上の岩盤を足跡も残さずどこに行くのか分からない。けれどベラックワと反対の方向に逆行する。「土塊から人間を造っていただきたいと、私があなたに頼んだことがあったでしょうか?」(『失楽園』ミルトン) 望みの年月を与えられたわけではない。流産/死産に失敗して生まれてきた年月の分をまた門の外で反復する。幽閉された循環する回路の中。循環はひび割れている。循環の中心はねじれ、亀裂が入り、反復はいびつな形で繰り返される。「陰惨な場所で、私は永遠に生ける死者として横たわることになるのではないか?」(同上) 埋葬されることを拒否する。昇天しないことは、生ける死者になることは、希望なのだ。洗礼を受けずに死んだ子供の魂は肯定させるべきだ。オーギュスト・ブランキは獄中の単調さを何度生まれ変わっても繰り返すと言い、突撃隊のレームは処刑される前に“革命はその子を飲み込む”と語った。何度でも反復すること。“生ける死者の轟き”として何度でもいびつな形で繰り返す。循環から解放されるのではない。循環の中で轟くこと。ドゥルーズが「哲学とは概念を発明する身振りの総体」と言ったのは、私達はこの世界で轟く以外に生きることができないからだ。“身振り”を、うまく伝わらない奇妙な“身振り”を繰り返す以外に生きることができない。」金村 修
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by time2007 | 2007-10-28 23:55 | 写真関連